森です

九州場所
魁皇の10連勝に
福岡県民は大喜びです


さて、
今回は、次の旅に関係してくる

「100」という数字についての話です

前回は
アジアからどんなルートをたどって
西へと進むか
そのことを書きました。

そして
予定のルートで
今回はじめて行くことのできる国がどれだけあるだろうと
計算してみるとだいたい
23カ国
となりました

そこそこありますね

前回の旅で私がまわった国が
65カ国でして
その他に行ったことのある国があと3カ国
あります。

そうなると
これまでに私が行ったことある国はしめて
68カ国
になります。


この68
次に行ける可能性がある23カ国
を足してみると

91カ国になります。

つまりあと9カ国

総訪問国100カ国
になるのです。


さてこうなると
どうせなら100カ国行ってみたいなと、
そう思うのが人情ってもんです。

ただ、あと9カ国を加えるのが
けっこう大変です。

前の旅では、行きやすい国に行った。
今度の旅では、行きにくいけどなんとか行ける国に行く

そうやって出したルートに
さらに9カ国をうわ積もうとしたら

ことさら行きにくい国々を 相手にすることになる。

行きにくい国とは、
行くのにお金がかかる国(島とか)
行くのがきつい国(アフリカの暴れん坊たち)などです
あと手続きが面倒な国もあります
ロシアやトルクメニスタン、サウジアラビアなどね。

西アフリカを縦断すればてっとり早いんですが
タフな旅になりそうで、それは尻込みしてます

そんな感じで
100カ国訪問はどうしようかと
悩んでいます。


このように100カ国には魅力を感じますが

一方では
訪問国を100にしたから、
それで旅が充実するわけじゃない。

という思いもあります。

もってるお金の多少で、
人格の高低が決まらないように

行った国の多少で、旅の充実度は決まらないのだ
と。


だいたい、100という国はとてもキリがよくて
美しく、潔く、力強くさえありますが

100個ある数字の1つにすぎないんですよね

たとえば床にみかんが99個転がっていても
100個転がっていても、
「たくさんのみかんだなあ」
とそう感じるのは同じだろうと、


たとえばいまのところ行くみこみの
合計91各国という数を
 9進法でカウントしてみれば
合計111カ国になります。

でも、こんなやり方で100カ国を超えても
達成感なんてありゃしないです。

9進法の文化に生きていたら
訪れた国は100カ国を越えて、

10進法の文化にいたら
100カ国に届かずに、欲求を感じる

同じ量なのに
数え方によって、受ける印象が違ってくるなんて、

ものの本質って、どこにあるんでしょうかね。


あれですかね
映画の宣伝でよくみる、たくさんの「興行収入NO.1」とか
企業が発表する商品の効果数値とか、
携帯電話会社が打ち出す割引の数字だとか

数字による化粧
物事の本質をぼやかすんですかね

話が逸れましたが

そうやって、数字にこだわっても
本質とは関係ないとわかってはいるんですが

それでもやはり
「100カ国到達」って
魅力的に聞こえるのはなんでだ?


数字のもつ魔力だなあ
人はどれだけこの魔力に誘惑されることか!

かの平沢進も
「数字(の推移)というものはそれだけで多くの人が共有できる
何がしかの何がしかだ」
と言ってますしね。

おそろしいもんだ

さて
このところそんなふうに
数字的かつ10進法的なプレッシャーを
受けているわけです

シェークスピアならばきっと
「100カ国か否か。それが問題だ」
って呟いて
あるいは、
「ああ10進法よ、あなたはどうして10進法なの!」
と嘆いたことでしょう

総訪問国が100カ国に達するかどうか
そして魁皇、この九州場所もしかしたら優勝してしまうのか
そこらも注目(?)ですね
では
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