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森です

毎日とても寒いけれども、日々平和です。

しかし世界は毎日激動しているようで。

とくにチュニジアの「ジャスミン革命」に端を発した、
北アフリカ、中東での反政府行動ヒートアップしています。

その中でもエジプトの反政府運動は頂点に達してますね。

ムバラク大統領の退陣は避けられないはず。
財産や利権、身の安全などの確保工作が終われば
大統領も舞台を降りると思われます。

エジプトもチュニジアも
この前の旅で行った国です

チュニス
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チュニジアは物資が欠乏しているという雰囲気もなく。
目立ったスラム街もなかったので、平穏だと感じていました。
だからあれほど大規模なデモが起こったときは正直おどろきました。

独裁で富が偏っていたこともよく知らなかった。

ツーリストとして国を歩いて回るだけじゃ、
なにもわからないんんだなあと、
そう実感しました。

そしてエジプトもそう。
エジプトに行った時は、
チュニジアよりも貧富の差が激しいとは感じましたが
独裁政権にあれほどの不満がたまっていたとは・・・

カイロの男たちは旅人に優しく、陽気で、振る舞い好きでした。
人懐こい笑顔で話しかけてくるけど、それで旅行者をだますこともなかった。

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↑デモをやっているタフリール広場はこの向こう。
泊っている宿はこの近くにあった。

さて今回、各国の抗議デモで再認識したことがあります。

それは「良い国と悪い国」の判断基準です。

端的に言えば、
いまの世界では善悪の判断は欧米がしています

もっと詳しく言えば、
欧米側に与している日本では、
少なくとも日本のマスメディアに触れているかぎり、
欧米視線の情報が流れてくるので
欧米がくだした善悪の判断が基準になってくる
ということです。


ではでは、国家にとって、
ある国家を善か悪か、それを判断する基準はなんだろうかと、
そのことについて考えてみます。

国家にとって道徳や倫理などは、主な判断基準とはなりません。

基準は主に、
「その国がこちらに利をなすか否か」となります。

「トップが民衆を苦しませている国が悪」ではなく
「トップがこちらに利益をもたらそうとしない国が
と判断されるわけですね。


もしイラクや北朝鮮が、親米・親欧だったら
それが独裁政権であっても、人権を多少無視していようと
彼らに対する態度は違っていたでしょう。
「善の国」とは言わないまでも、「ちょっと素行の悪い国」
くらいの扱いですんでいただろうし、
フセインも金正日も、攻撃や非難をされなかったかもしれません。

逆に、いまは欧米側に与している日本が、欧米に反抗したとしたらどうでしょう。
明日にでも「悪の国家」というレッテルをペタリと貼られることもあります。
(イスラム教≒物騒という間違ったイメージも、この種のレッテルと似ています)


さてさて
今回のチュニジアやエジプトは
トップが私腹を肥やし、公平な選挙もさせず、
貧富の差を拡大させていた。
そんな独裁政権であるにも関わらず「悪」という評判が
(少なくとも日本では)たたず、非難もされなかったのはどうしてか、
その理由はもちろん

独裁政権が欧米と仲が良かったからです。

日頃、あれだけ正義だ正義だと言っておきながら
利益を得るために
相手国の独裁者と民衆の苦しみに目をつむるのはいかがなものかと、
そう非難したくもなりますが、

そもそも、国家はその成立意義からして
利己的にできてるもので、
だから
国家に人間のような良心や羞恥心を期待するのが、
ナンセンスなのかもしれない。

そう。
国家に良心や羞恥心を期待するのはナンセンスなんですね。

いやー、こう言いきると、なんだかスカッとします

国家というものに対して、人間みたいな「心」を期待するから不満もでるんです。

もはや国家は暖かい家(ホーム)ではない、
国家は道具だと、割り切って考えるべきでしょうか。

チュニジアやエジプトでは、
民衆たちがその道具を使う権利が
とても制限されていたということです。
公平な選挙も裁判もされていなかったそうで。

彼らは国家(という道具?)を自分たちの手に取り戻そうと
大規模な抗議行動を起こしているわけです。

さて日本はどうでしょう
国家という道具は、ちゃんと国民の手に握られているでしょうか
それとも一部の権力者たちによって、好きなように使われているのでしょうか。

考えはひとそれぞれでしょうが、
国家が道具で、それを使うのがその国民である限りは
国家が間違ったことをした責任は、その国民にあるということになります。

だから個人が国政に参加する機会は多ければ多いほど
良いということになります。

今回のチュニジアの革命は、twitter革命だとか facebook革命だとも言われています。
国という道具を操る有効な手段を
個人は新しく手に入れたということを示しました。

マス・メディアに代わるパーソナル・メディアがもつ影響力、可能性がここにうかがえます。


米「ギルト・グループ」の創業者が、
「綿密なプランを立てるよりも、とにかくアイデアを市場に出してみることを重視している」
とのようなことを言っていました。

新しく登場したこのパーソナル・メディアで
まずは思ったことを発信していくこと。
それが大事だということでしょうか。

そんなことを発信して、今回はこれで終わり。
ではまた。
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